坂嶋流記録庫

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令和7年度 盛岡文士劇「犬神家の一族」

 2025年12月5&6日、盛岡劇場にて文士劇が開催された。アナウンサー中心の現代物と、作家中心の時代物の2部構成が通例だったが(来年から時代物のみになるらしい)、時代物の演目が「犬神家の一族」ということで、ミステリ評論家の端くれとして行くことにしたのである。(今回の記事に致命的なネタばらしはないが、多少展開を予想できてしまう可能性はあるので、原作未読の方は以下、ご注意を)

 と言いつつも、正直言って、さほどシナリオには期待していなかった。
 横溝正史(原作)の舞台化というより市川崑(映画版)の舞台化になるのではないかという不安が大きかった。なにしろ、2時間半の映画ですら省略が多く、ミステリの筋として不満もあったため1時間ちょっとの劇に収まるとは思えなかったからだ。実際に文士劇の冒頭、映画版でおなじみの音楽とパロったオープニングが流れたときは苦笑もした。(でもテレビ放送ではカットされたあの出演者紹介、ちゃんとフェアに並んでいましたよね……?)

 そんな僕が「おっ」と身を乗り出したのは本編開始直後。
 金田一耕助が古館弁護士と出会い、高松の池のボートに乗った珠世が危険な目にあったと伝えられるシーン。原作や映画では宿から池を眺めていた金田一耕助が珠世の危機に気が付き救おうとする(猿蔵の初登場でもある)シーンだが、まず、若林助手をカットし、古館弁護士を助手ポジションにしたことがまず好印象。

 その上で珠世のピンチを金田一到着前にすることで、要素を削ることなく、物語の短縮に成功している。しかも同時に明らかになる、「岩手県盛岡市に犬神家が存在する」という衝撃の設定。岩手出身の可能性が高いとされる金田一耕助が、60年の時を経てようやく故郷に錦を飾った瞬間である。(盛岡を舞台としたことで、菊人形は弁慶の立ち往生に変わっており、これも好感度アップ)

 その後の展開も映画版に準じつつも所々、映画版では削除された部分が復活しており、そのたびに好感度が上がった。
 特に「湖から飛び出している足」についての絵解きは、『霧越邸』などの綾辻作品とともに、『ジョーカー 旧約探偵神話』にハマるきっかけとなった個人的に思い入れのある要素なので映像化でカットされがちなその謎解きがあったのは素直に嬉しかった。ほかには、解決編で明らかになる琴の師匠の証言だけでなく、練習の音色を聞きながら梅子も同じことを感じていたというセリフの追加。市川映画では後出しに思えたので、しっかり観客にデータを提出しているという点で大いに評価できる(そのため、犯人はよりわかりやすくなっていたけど)。

 それから事件を解決した金田一耕助が盛岡を立ち去るシーンで口にした「新しい風を吹かせる」(素敵なセリフ!)は原作にも映画にもなかったはずで、『八つ墓村』のラストのセリフをもってきた、と思っていたのだが、探してみても見つからなかった。出典をご存じの方はご教授頂けたら幸い。

 それらのように原作や映画からの改変は基本的に必然性のある、理にかなったものだったように思う。

 ただし1点だけ。
 市川映画版では金田一耕助の謎解きがほぼ完了したときに落ちていた犬神佐兵衛の遺影が、文士劇では第三の殺人の直前に落ちていた。映画版では金田一耕助によって犯人が指摘され、連続見立て殺人の謎が解き明かされた時=犬神家の呪縛からの解放としているのに対し、今回の文士劇では犬神家への復讐が達成されたときに犬神家の権威が失墜した、と表現していたように思える。それはつまり、探偵の推理と犯人の復讐のどちらに見せ所を置くか、ということなので趣味の問題ではあるのだが、僕としては探偵の推理の方に見所を増やして欲しかった、というのが正直なところである。ただ、こういう見せ方もありえるのか、という感心に繋がったことも間違いない。

 言いたいことはだいたい語り終えたけど、最後にもう少しだけ。
 僕が今回、劇場まで足を運んだのは、ミステリが演目であり、会場が盛岡だったからである。これまでほとんどミステリが扱われていなかったとはいえ、昨年までも文士劇を見る機会はあった。それでも行かなかったのは「参加したくなったら困る」というのが理由のひとつだった。ただ今回初めて劇場で、生で観て、その演技のガチさに恐れおののき「ここは戦場だ。気軽に踏み込むな」(by阿久田鉄人)という印象を受けた。なにしろ出演者の大半は素人である。声優やアナウンサーならまだしも、演じることには完全に素人である小説家がここまでの演劇を作れるのか、というのが初めて劇場に足を運んだ感想である。……なので僕はおずおずと退散しつつ、次回からリニューアルされる文士劇の演目発表を楽しみに待とうと思う。

参考文献:千街晶之『原作と映像の交叉光線』(東京創元社)

十文字青『かえるの騎士とみにくい背高女王』(マイナビ出版) #PR

 かえるさんはかえるさんであって、かえるさんでしかない――

 と、某傑作SFのもじりから始めてしまったが、本作の主人公であるかえるもまた、真っ直ぐな存在である。人間の言葉を理解する、人間サイズのかえるであるため、見世物にされていたかえるはある暴動をきっかけに自由の身となり、自分の出自を知るための旅を始める――。

 かえるは純真であり優しく、何事にもまっすぐだ。そして誰よりも、自分の信念を曲げない。
 彼の道中には予想外の展開があったり、意外な真相が明らかになるわけではない。だが王道とはこうであると言わんばかりにかえるは信念に従い、まっすぐに進んでいく。様々な人物と出会い、騎士となって敵と戦い、女王に仕える。めくるめく物語は読者を引き寄せ、最後まで離してはくれない。

 帯の文章で予告されているとおり、かえるが敬愛する女王のもとから離れる展開は胸を打つ。あらかじめ予告され、心の準備をしていてさえ、涙ぐむくらいに。だから本作は「そしてふたりは幸せに暮らしましたとさ」とはならない。

 でも、こうも思ってしまうのだ。本作のラストでかえるがかえるさんであるがゆえに選んだ別れの先には、必ず「ふたりは幸せに暮らしましたとさ」というハッピーエンドが待っていて欲しい、と。

 かえるが何者で、どこから来て、そしてどこへ行くのか、それは誰も知らない――彼自身も。しかしそれを知った先に、幸福が訪れて欲しいと願ってしまうのは、かえるや女王が魅力的であり、そして物語自身もまっすぐな魅力に満ちているからではないか、そう思えてならない。
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